ホジペディア

ブリブリー百科事典

相撲最強説

出典: ブリブリー百科事典『ホジペディア(Hojipedia)』

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/d/d6/Super_Honda.png

相撲最強説(すもうさいきょうせつ)は、喧嘩異種格闘技戦では力士が最強だとする主張である。

 

 

格闘ブーム以前

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Raiden_Tameimon.jpg伝説の最強力士雷電爲右エ門の取り組み相手に怪我人が続出したため、多くの技を禁じ手にされたという逸話や、真剣を持った壬生浪士新撰組の前身)に角棒で戦いを挑んだ大坂相撲力士乱闘事件など、江戸時代から力士の屈強なイメージは揺るぎのないものとなっていた。

 

 

 

総合格闘技が隆盛する平成時代中期までは、相撲ファンプロレスファンの間で、現役力士や力士出身のプロレスラーヤクザ相手の喧嘩やガチンコ試合で圧勝する裏話とともに相撲最強説は広まっていた。

 

 

 

 

f:id:kobayakawapediaki:20210307200418j:plain相撲最強説の構築に最も貢献したのが、大相撲元関脇力道山と「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられた最強の柔道家木村政彦がプロレスルールで戦った昭和の巌流島である。木村の金的後に突如猛攻して失神KO勝ちした力道山の強者のイメージは、力士が本気を出せばとてつもなく強いという説を大いに裏付けた。

 

 

 

 

 

 

 

f:id:kobayakawapediaki:20210323105539p:plain

また、ぶちかまし突っ張り張り手など頭部攻撃への耐久力が必須なことから、力士はボクシングパンチを頭に受けても効かないという主張も定着した[要出典]

 

 

 

 

 

f:id:kobayakawapediaki:20210323105203p:plain

他にも、蹴手繰り蹴返しのようにでの攻撃手段も身につけていることから、空手キックボクシング相手にも対応できるという主張もあった[要出典]

 

 

 

相次ぐ力士出身者の敗北

北尾

f:id:kobayakawapediaki:20210307201400j:plain

1992年10月23日、プロレス界を追放された元横綱双羽黒北尾光司空拳道なる武術を身につけた武道家として、少年野球出身で格闘技経験のないプロレスラー高田延彦UWFルールで対戦し、最終ラウンドにハイキック1発でKO負けを喫した。この結果により相撲最強説が崩壊するとともに、UWF最強説が強い支持を得ることになる。

 

 

 

総合格闘技黎明期から隆盛期には力士出身者の参戦が相次いだが、強さを誇示できたものはいなかった。

 

 

高見州

f:id:kobayakawapediaki:20210323143111j:plain

1993年11月12日、記念すべき第1回UFCが開催。ハワイ出身で力士引退後は藤波辰爾率いるプロレスユニットドラゴンボンバーズにも所属していた元幕下高見州テイラ・トゥリが参戦。喧嘩屋の異名をとり、中井祐樹を試合中に故意に失明させたことでも知られるオランダの最凶の空手家ジェラルド・ゴルドーに1R26秒TKO負けを喫した。

 

 

 

 

 

ヤーブロー

f:id:kobayakawapediaki:20210323120144p:plain

1994年9月9日のUFC3には全米アマチュア横綱エマニュエル・ヤーブローが出場。体重300kgの巨体を全くいかせずに約90kgのキース・ハックニーに1R敗北。

 

 

 

 

ケンドー・ナガサキ

f:id:kobayakawapediaki:20210307201929j:plain

大相撲出身者の参戦は期待を裏切る結果が続いた。

特にセメントマッチ最強説が信じられていた元幕下のプロレスラーケンドー・ナガサキ(当時47歳)が、1995年9月26日に参戦した総合格闘技大会「Vale-Tudo Perception」で、無名のキックボクサージーン・フレージャーのカウンターパンチを頭部に受けてわずか36秒でKO負けを喫した出来事は、相撲最強説やプロレス最強説を信じ続けたファンの信念を揺るがすほどの衝撃を与えた。

 

 

数少ない力士の勝利

f:id:kobayakawapediaki:20210323104824p:plain

1997年10月11日、日本初の大型総合格闘技イベントPRIDE.1には、北尾光司から改名した北尾光覇が参戦。前年5月のUFC 9を含め総合格闘技2連敗であったが、元パワーリフティング王者で格闘家転向初戦のアームレスラーネイサン・ジョーンズチキンウィング・アームロックで勝利を収めて、かすかに元横綱の面目を保った。メジャー大会では大相撲出身者として初勝利の快挙であったが、その後総合のリングに上がることはなかった。

 

 

http://blog-imgs-32.fc2.com/h/i/d/hidehide7755/rtesta.jpg

ちなみに、大相撲出身者の総合格闘技初勝利は1995年に大日本プロレス愛知大会でジェラルド・ゴルドーの兄ニコ・ゴルドーに勝利したケンドー・ナガサキだとされる[要出典]

 

 

大刀光

https://www.boutreview.com/report/pride/00/0130/2d.jpg

2000年1月30日のPRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦には元前頭15枚目のプロレスラー大刀光が参戦。元アームレスリング世界王者のゲーリー・グッドリッジの猛攻になすすべもなく、1R51秒フロントチョークでギブアップ負けを喫した。

 

 

 

これらの結果から、プロレス・格闘技ファンの間では持久力のなさや、技の応用力のなさなど相撲経験は総合格闘技には不利になるという認識が広まっていった。ただし、これらの試合結果を知らない好角家や一般大衆には依然として力士最強のイメージは残っていた。

 

 

 

曙 

f:id:kobayakawapediaki:20210307201742j:plain

わずかに残っていた相撲最強説を完全に崩壊させたのが元横綱である。2003年12月31日に開催されたキックボクシングのイベントK-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!に、年寄を廃業して参戦を表明。テレビカメラを通じて、「なんで長い歴史の中で68人しか横綱がいないのか教えてやるよ」と相手を挑発するなど、大会前から大評判となり、TBSテレビ生中継の瞬間最高視聴率は43%を記録し、史上初めてNHK紅白歌合戦を上回った(詳細は第54回NHK紅白歌合戦#K-1に視聴率で負けた4分間を参照のこと)。この試合で曙がアメフト出身の格闘家ボブ・サップにいいところなくKO負けを喫した上、カエルの死骸のようにうつ伏せで失神した無残な姿を晒したことは日本中に衝撃を与え、以降「負けぼの」と揶揄される事にもなった。その後もキック・総合の試合に挑み続けたが、通算成績はキック1勝9敗、総合0勝4敗であった。ハワイ先住民の血を引く2メートル230キロの恵まれた体格で、若貴フィーバーライバル役として「曙貴時代」を築いた名横綱が全く通用しない現状を目の当たりにしたことで、格闘技に詳しくない一般大衆の間でも相撲最強説を唱えるものは激減していった。

 

 

戦闘竜

https://gonkaku.jp/system/images/attachments/000/028/269/medium/image-1594295177.jpg?1594295177

2004年、アメフトとアマチュアレスリング歴のある元前頭12枚目戦闘竜がプロ格闘家に転身。ストライカー然とした体格から格闘技への適応が期待されたが、4月25日のPRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦で218cmの巨漢プロレスラージャイアント・シルバに無念の一本負け。しかし、雪辱を期して挑んだ10月14日のPRIDE 武士道 -其の伍-で、ニュージーランド出身でレスリングを主体とする格闘家マル・"ザ・ツイン・タイガー"にKO勝ちを収める。試合後のマイクパフォーマンスでは「相撲は強いんだよ!」と相撲最強説の復興を宣言したが、その後3連敗してPRIDEの出場機会を失い、規模の小さいHEATを主戦場とするも通算で総合6勝16敗、キック2勝3敗と振るわず、相撲最強説の証明は果たせなかった。

 

 

その後は、2007年のPRIDE解散で日本の格闘技ブームは終焉。引退後の力士が活躍の場を求めて格闘家を選ぶケースは減っていった。

 

把瑠都・大砂嵐

2015年、PRIDEの流れを組むRIZINが設立。大晦日の目玉として「曙 対 サップ」の再戦と元大関把瑠都の格闘家デビューが話題となった。把瑠都の指導者はPRIDE最多出場の小路晃

 

 

2018年には、元前頭筆頭大砂嵐デビュー。指導者はジョシュ・バーネット

 

 

いずれも本格的な転向とは言い難い客寄せパンダとしての扱いであり、相撲最強説を改めて論じる機運は高まらなかった。

https://livedoor.blogimg.jp/ikanzi/imgs/d/f/dfc7a0ca-s.jpg

 https://efight.jp/wp-content/uploads/2018/09/6_2-1.jpg

 

 

 

 

 

最後の希望 スダリオ剛 

https://www.nikkansports.com/battle/news/img/202012310000312-w1300_0.jpg

そんな中で唯一の明るい話題は2020年にデビューした元十両貴ノ富士ことスダリオ剛である。引退後、間を開けすに23歳で総合格闘技に転身。しかも、指導者が総合格闘技黎明期の実力者エンセン井上という好条件。さらに、少年時代に空手とキックボクシングを身につけていることから、立ち技主体となった現在の主流スタイルへの適応もかなり期待できる。
気性の激しさから度重なるトラブルで角界を事実上追放になった経緯は心配な点ではあるが、成長を待つとしよう。
ただし、相手探しが困難とはいえ、実力差のありすぎるマッチメークは疑問。成長にも繋がらない状況を良しとしないのであれば、早い段階でRIZINとの決別が必要だろう。

もう一つ、苦言を。

八村塁大坂なおみなどハーフの選手が日本の英雄となる時代に、昔のエンセンの真似をして「大和魂」を声高に主張するのは白けるばかりだ。昔からエンセン大和魂パフォーマンスを苦々しく思っていた格闘技ファンが多くいることに気づいて欲しい。

 

 

力士出身者の総合格闘技の戦績

* 高見州(テイラ・トゥリ)● 0勝 1989年引退 1993年デビュー

* ケンドー・ナガサキ ○● 1勝1敗 幕下13枚目 1971年引退 1995年デビュー

* 北尾光司  ●●〇 1勝2敗 横綱 1988年引退 1996年デビュー

* 太刀光 ●●●● 0勝4敗 前頭15枚目 1994年引退 2000年デビュー

* 曙太郎 ●●●● 0勝4敗 横綱 2001年引退 2004年デビュー

* 戦闘竜 ●○●●●●○●○●○○-●●○●●●●●●● 6勝16敗  前頭12枚目 2003年引退 2004年デビュー

* 日出ノ国太子郎 ○●○● 2勝2敗 十両13枚目 2003年引退 2004年デビュー

* 玉海力剛 ●●● 0勝3敗 前頭8枚目 1996年引退 2004年デビュー

* 大飛翔誠志 ●○●● 1勝3敗 十両筆頭 2001年引退 2005年デビュー

* 若翔洋俊一(馬場口洋一)●△●●○●● 1勝5敗1分 関脇 1997年引退 2005年デビュー

島虎富茂 ●●●●●●○● 1勝7敗 幕下16枚目 2005年5月引退 2010年デビュー

* 星風芳宏 ○ 1勝0敗 十両3枚目 2011年4月引退 2014年デビュー

* 把瑠都凱斗 ○○○● 3勝1敗 大関 2013年引退 2015年デビュー

* 貴ノ富士(スダリオ剛) ○○○ 3勝0敗 十両5枚目 2019年引退 2020年デビュー

* エマニュエル・ヤーブロー ●○● 1勝2敗 1995年世界相撲選手権大会無差別級王者 1994年デビュー

※戦績は2021年3月時点

 

力士出身者のキックボクシングの戦績

* 天承山 28勝(10KO)11敗2分 1994年引退 2001年ボクシングデビュー 2002年キックデビュー

* 曙 ●●●●●○●●●● 1勝9敗 2003年デビュー

若翔洋 ●△●●●● 0勝5敗1分 2005年デビュー

* 戦闘竜 ●●○○● 2勝3敗 2007年デビュー

* 霧の若将軍岡本) ○ 1勝 十両4枚目 2011年引退 2020年デビュー

※戦績は2021年3月時点

 

関連項目

* プロレス最強説

* UWF最強説

* 骨法最強説

* 合気道最強説

* ジャンボ鶴田最強説

* 前田日明最強説

* 大木凡人最強説

* 渡瀬恒彦最強説

 

カテゴリ: 相撲 | 日本のスポーツ史 | 大相撲の歴史日本の伝説日本の論争